ポナー党の歴史

なんせ、昔のことの上、まったく資料を見てないんで、事実と異なる場合があります。

間違ってるところとか、追加すべきところとかあったら掲示板に書き込んでくれれば、反映します。


 

2003年 10月某日  オロロンシャオロンにより、ポナー党の設立が提唱される。

              これにayy、理事長が賛同。ポナー党が発足する。

2003年 10月某日  党員の役職を決めるべく、総裁選が始まる。

              選挙方法は世界初の「麻雀・投票並立制」を採用。

              これにより、オロロンシャオロンが総裁、ayyが副総裁、理事長が幹事長に就任し、

              トロイカ体制で党を運営していくことになる。

2003年 11月某日  OLTの政権を握るべく、オロロンシャオロン・理事長が部長選に参加するも、惨敗。

2003年 12月某日  忘年会にて麻雀大会を主催。そこで一度、ポナー党の解散を宣言する。

              理事長の「ポナー党は永遠に不滅です。」は党史に残る名言。

 

2004年 2月ぐらい  26期生の間で、ポナー党復活の気運が高まり、ポナー党復活。

               総裁にtakas、副総裁にマッツ、幹事長になぎゃーが就任。

              一部の歴史家は2003.10〜2003.12のポナー党を前ポナー党、

              2004.2〜のポナー党を後ポナー党と区別しているとかいないとか。

2004年 11月某日  マッツが次期部長に決定。党結成わずか1年にして政権を握る。

2004年 12月某日  忘年会にて麻雀大会を主催する予定だったがすっかり忘れていた。

 

2005年          党幹部の多忙により、ポナー党の活動能力の低下が顕著になる。

2005年 3月某日   マッツがOLT第26代部長に就任。ポナー党が与党になる。

2005年 3月某日   オロロンシャオロンが「第1回25期最強位戦」を主催。

               このとき最強位戦はポナー党とは関係なかったが、次回以降は協賛の予定。

               「OLTのアカギ」の異名を持つぶつりが初代25期最強位のタイトルを獲得。

2005年 5月某日   OLT広報誌、WINGになぎゃーが「月刊ぽん」を掲載。

              大好評のうちに打ち切られる。

2005年 9月某日   事実上休止状態のポナー党に活を入れるべく、しま〜だが1年生にして総裁に就任。

               かづきが幹事長に就任。

2005年 11月某日  ひがーが次期部長に決定。2年連続でポナー党出身者が部長になる。

 

2006年 3月某日   党威高揚のため、理事長が麻雀大会「ポナー's cup」の開催を提案。

               参加者多数で大成功を収める。

               ayyが初代ポンwinnerのタイトルを獲得。お〜ひらが準優勝。むとぅーが新人特別表彰。

2006年 3月某日   党威高揚のため、マッツが麻雀大会「中華王戦」の開催を提案。

              ayyが初代中華王のタイトルを獲得。二冠王になる。

2006年 3月某日   ひがーがOLT第27代部長に就任。

2006年 4月某日   党威高揚のため、オロロンシャオロンが麻雀大会「第2回25期最強位戦」の協賛を提案。

              ayyが二代目25期最強位のタイトルを獲得。三冠王になる。

2006年 4月末日   党威高揚のため、ayyが麻雀大会「ウーロン杯」の開催を提案。

              オロロンシャオロンが優勝。


 

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